雑記庫

書き散らしていくぞ

ブログを始めてみる

 ブログを始めてみる。特に目標も役割も設定していない。Twitterの延長線上の使い方になると思う。

 

おわり。

 

 

 

 

 

 ……というのはさすがに記念すべき一記事めなのに簡素すぎないか。少し語ってみよう。

 

 そうだ、最近忘れかけていたけど僕は物書きだ。〇から一を生み出し、それを飾りたてて一〇〇にしてこその物書きでしょう。

 忘れかけていたというのも、ついこの間まで受験勉強に忙殺されていたので、その看板を下ろさなければならなかったのだ。しかしつい三週間ほど前に解放されたので、再度のれんをかけ直した次第だ。

 残念なことに第一志望の大学には受からなかったが、もともと心のどこかで「ここは無理だろう」と思っていたからか、あるいは同ジャンルの勉強ができる他大学の学部に合格したからか、特に悔しさはない。

 ただ、同輩の話なんかを聞いていると「結構みんな第一志望受かってるなぁ。僕ももうちょっと頑張ってれば受かってたのかな」と思ったりもする。けれどまあ、今となっては後の祭りだ。むしろみんなみたいに死にものぐるいで机にかじりついていたわけでもないのに、満足できる大学に合格できた幸運を喜ぶべきだろう。

 

 思い返してみると、高校受験の時もこんな気持ちになった記憶がある。

 

 僕は非常に素行の悪い中学生だった。ルサンチマンの塊とでも形容しようか、生徒という立場から見た教師という概念そのものを嫌っていた節がある。教師が右を向けと言えば左を向き、それを咎められれば「どうしてそんな小さなことまであなたに従わなければならないのか」と反駁する、控えめに言ってもいけ好かないクソガキだった。

 当然こんな生徒が教師に好かれるはずもなく、関心意欲態度の評価は常にCかBだ。そのくせテストの点だけは無駄に良かったため、総合評価はいつも4。当時は「点数さえ取っておけば僕のことがどれだけ嫌いでも評価せざるを得ない。教師どもはさぞ悔しかろう」と矮小な愉悦に浸っていた。

 そして受験期、併願校を決める段階で気がつく。僕の内申ではクソみたいな高校しか取れない、と。塾の面々は世渡りが上手く、評定平均4.7以上を普通に取るようなやつらばかりだった。それに対し僕の内申は平均4.1程度。この内申で一番偏差値が高いところとなると、〝生徒だけでカラオケに行ってはいけない〟〝友人の家に宿泊してはいけない〟とかいう校則を持つディストピアみたいな高校しかない。

 その時も「僕ももっと上手く猫をかぶっていればよかったなぁ。そうしたらもっとマシな併願が取れたのになぁ」とメランコリックな気持ちになったのだ。

 

 最終的には第一志望の公立高校に受かったのでよかったのだが、逆に考えてみると、このとき〝なんやかんやでうまくいった〟からこそ、みんなみたいに〝全身全霊を懸けて理想をつかみ取る〟という結果には至れなかったのかもしれない。

 もし三年前の冬の日に不合格通知を受け取り自分の努力不足を痛感していたならば、決してこの過ちは繰り返さまい、と一念発起していたかもしれない。今度こそ、と一心不乱に勉強していたかもしれない。

 しかし僕は傷を負うことなく高校へ入学し、後悔することなく大学への切符を手に入れた。

 であれば、次も同じ胸のわだかまりを生じさせる可能性は大いにある。

 次の試練とは就活。後の人生にもっとも影響してくる関門だ。

 ここでも僕は〝なんやかんやでうまくいって〟そこそこの企業に入るのだろうか。まあまあやりがいがあり、生活にも困らず、しかし贅沢もできない、そんな痒いところにほんの少し手が届かない日々を送るのだろうか。

 高校生活に不満があったわけでは決してない。むしろここで過ごせて本当によかったと思えるほど、僕は母校に満足している。

 しかしだからこそ――痛みを知らない身だからこそ、将来の自分の展望が少し不安だ。

 

 けれどまあ、まだ見ぬ未来をあれこれ憂慮していても始まらない。かもしれない運転より「アクセル全開ヒャッハー!」ってフルスロットルで走る方がはるかに楽しい。どうせ四年間過ごすところなのだ、楽しく過ごさなきゃもったいない。

 やりたいことやって、やらかしちゃったら反省して、またやりたいことやろう。

 それがきっと、一番楽しい。